さとりのこさとこのブログ

新しい技術を日常で活用・応用した気づきや たまにどーでもいいことも掲載

夏目漱石 こころ あらすじ・まとめ 人との対立意識は「犬が鎖に繋がれたままの人生」と同じ生き方

学校の教材としてもよく使われている夏目漱石

「こころ」

その中でも有名なのは映像化もされた「下:先生と遺書」です。

 

上:先生と私(主人公と先生との出会いについて)
中:両親と私(主人公と父親の病気について)
下:先生と遺書(先生の過去について)

 

この小説は明治から大正に元号が変わる時期に書かれたもので2019年に元号が変わるタイミングでまとめと解析をしてみることにしました。

---------------------------

<先生と私との関係性>

鎌倉の海で会った先生と私は親しくなっていった。

親交を深めていく中で先生は

「人間全体を信用しない。私は私自身さえ信用していない。つまり自分で自分が信用できないから、人も信用できないようになっているのです。自分を呪うより仕方がないのです」

私「そうむずかしく考えれば、誰だって確かなものはないでしょう」

先生「いや考えたんじゃない。やったんです。やった後で驚いたんです。そうして非常に怖くなったんです。とにかくあまり私を信用してはいけませんよ。後悔するから」

先生の人間に対するこの覚悟はどこから来るのだろうか。雑司ヶ谷にある誰だか分からない人の墓。
先生と奥さんの二人にとって、自由の往来を妨げる魔物のようであった。

先生が不在中に先生宅を訪問、奥さんと話しをすることになった。「奥さんが嫌われている」という流れから、奥さんの口からこんな話をきくことになる。

奥さん「私は嫌われているとは思いません。しかし先生は世間が嫌いなんでしょう。世間というより近頃では人間が嫌いになっているんでしょう。だからその人間の一人として私も好かれるはずがないじゃないじゃありませんか」

奥さんが先生から嫌われているという意味がやっと私に飲み込めた。

そして奥さんから先生の大学時代の話、友人が「変死」をしたことを初めて知ることになる。

私は父の病状がよくない為、実家に帰省していた時に「先生からの遺書」を受け取り、私は慌てて東京に向かった。

---------------------------
<先生の遺書>

①両親の死

両親は資産を持っていたのでゆったりとした生活を送っていたが20歳に満たない時に腸チフスの病気で両親が他界。一人になった私には頼る人は叔父しかいなかった。

高校3度目の夏休み、故郷に帰ってみると私に対しての叔父一家の様子がおかしかった。叔父は私が東京の高校に通っている3年間の間に財産を使い込んでいた。私の所有しているものをお金に換えて故郷を去ることにした。
親の遺産は非常に減っており、心持ちが悪かったが学生生活を送るには問題ない金額で余裕のある学生生活が私を思いもよらない境遇に陥れることになった。


②本郷台で下宿

お金に余裕のある私は日清戦争でご主人を亡くした未亡人と一人娘がいる遺族の家を訪ね、自分の身元や学校を伝えると引っ越してきて問題ないと了承をもらった。

故郷を出るときに「他人は頼りにならない」敵視する叔父、叔母、親戚をあたかも人類の代表のごとく考え出し、神経は鋭く尖っていた。

しかしお嬢さんとの交流を通して金に対して人類を疑ったけれども、愛に対してはまだ人類を疑うことはなかった。

私の挙動不審な行動に対して何も言われず、それどころか私に尊敬の念をもって会話をしてくれるので、そのおかげで挙動不審や疑いの眼を持った私の行動は段々落ち着いていった。


③二人の接近

私の過去を奥さんとお嬢さんに伝えると、奥さんの身寄りかのように待遇をしてくれるようになり奥さんの行動が私とお嬢さんをくっつけようとしたことを察した。

お嬢さんに対して強い「愛」を持った私はお嬢さんを信じている反面、二人が裏で打ち合わせをして万事をやっているのだろうと思うと信念と迷いの中に立って動けなくなってしまった。私の中ではどれも想像であり真実でもあった。

お嬢さんの元に男の客が来るとイライラして、神経は震えるよりも大きな波動を打って私を苦しめた。私は思い切って「お嬢さん」をもらい受ける話をしようとしたが躊躇し口には出せなかった。

私は他人の手に乗るのは誰よりも業腹でした。叔父に騙された私はこれから先どんなことがあっても人には騙されまいと決心したのです。


④地元の友人「K」が東京に来た

Kは養家の両親から医者になるつもりで東京に出してもらっていたが、Kは養家の希望に背いて自分のやりたいことを突き進めようとすることに対して私は賛成していました。

医者の道から外れることで養家から怒りを買ったKは学資補助が受けられなくなっていた。

Kは自分の力で何とか東京の生活を支えようとするがどんどんメンタルが落ちていき
「自分だけが世の中の不幸を背負って立っている」と言うようになった。

Kの状態を見かねた私は奥さんに反対されたにも関わらずKを自分の下宿先へ招待した。


⑤Kとの同居

地元にいるときは、中学、高校とKは常に上位で私は普通で何をしてもKには及ばないという自覚があった。ただKを私の下宿先に引っ張ってきた時は私のほうが十分に理をわきまえていると信じていた。そして私と同じ孤独の境遇に置くのは忍びなかった。自分が中心になって奥さん、お嬢さんとKとの交流を深めさせようとした。

Kはだんだん下宿先に打ち解けていき、私の当初の目的に対して成功し始めていることに喜悦を感じられずにはいられなかった。


⑥Kに対する嫉妬

Kが下宿先の人たちと仲良くなるのがだんだん気に入らなくなっていた。

私から見てKが世話のし甲斐があったころは嬉しかったのにKのお嬢さんに対しての態度を見るようになってから彼を許すことができなくなっている自分に気が付いた。

Kを旅行に誘い、旅先で私がお嬢さんに好意を抱いていることを告白するか悩んだ。
私から見てKは外見もよく女性から好かれるように見え性格も男らしく私より優勢だった。

Kがお嬢さんと親しくなるにつれて、お嬢さんはKの方に気があるのではないかと考えるようになっていた。Kに気があるお嬢さんと一緒になるのは嫌で、それくらいお嬢さんに対して熱っしていたことに気が付いた。

しかし自分の気持ちを打ち明けるのは日本の習慣として許されないという自覚が強くあった。


⑦Kの告白

Kがお嬢さんに好意があると打ち明けられ私は頭から足先まで石か鉄のように固くなってしまった。私よりKは強いのだと恐怖の念が萌(きざ)し始め勝つ方法が見いだせず、心がかき乱され心持ちが悪かった。

家の中を観察するとどうやらKは私以外の人にはお嬢さんのことを話していないことがわかった。

Kは私を呼び出し、自分の恋愛に陥って自分が自分でわからなくなっており私に公平な意見を求めていた。相手がお嬢さんでなければKにとって都合のいい言葉をかけていたかもしれないが、その時の私は違っていた。

Kの無用心さに付け込んで、彼の保管している要塞の地図を受け取ってゆっくり眺めることができた。Kが真宗寺に生まれた男であることを知っており「精神的に向上心がないものは馬鹿だ」と恋は道の妨げになると私は反対する立場を取った。Kの善良な人格に付け込んで彼を打ち倒そうとしたのです。

Kが「もうその話はやめよう」と言うと

私は「君の心でそれを受け止めるだけの覚悟がなければ君の普段の主張をどうするつもりなのか」と聞くと

Kは「覚悟はないこともない」と言った。


⑧勝利の確信と不安

Kが言った「覚悟」という言葉が頭の中をめぐり私は恋愛方面に発揮される「覚悟」だと思い込んでしまった。

私はKが知らないうちに事を運ばなくてはならないと覚悟を決めたが、なかなか事を運ぶタイミングが悪く、今の状況に耐えられなくなり仮病を使い学校を休んだ。

奥さんと私の二人きりになったところでKから何か言われなかったか」を聞くと奥さんからは「何を?」と聞き返され、Kの告白を奥さんに伝えるつもりはなかったので「いいえ」と言ってしまった。

会話の後を待たれていると感じた私は突然

「奥さん、お嬢さんを私に下さい」と言いました。
上げてもいいが急じゃないかと奥さんに言われたが「急にもらいたい」と考えていたのは突然ではないことを説明した。奥さんからは了承をもらい、話は簡単でかつ明瞭に片付いてしまった。

 

⑨卑怯な私

下宿先の雰囲気がいつもと違うことに違和感を覚えていたKに対して私は自分で自分をKに説明するのが嫌になっていた。数日後、奥さんからKにあの話をしたのかと聞かれ、固くなってしまった。

そして奥さんからKに結婚の話をしたこと。Kからは「おめでとうございます。何かお祝いを上げたいが私にはお金がないから上げることができません」と言っていたことを告げられた。私はその話を聞いて胸が塞がるような苦しさを覚えた。


⑩Kの自殺

奥さんがKに話をして二日ほど経っていた。私は全く気が付かずにいた。彼と私の頭の中を比べてみると彼の方がはるかに立派に見えた。「策略で勝っても人間としては負けたのだ」Kは私を軽蔑しているだろうと顔が赤くなった。

Kの前に出て恥をかかされるのは私の自尊心にとって大きな苦痛だったが進もうかよそうか考えている時にKは自殺をした。

私宛の手紙に文句が書き列(つら)ねてあるだろうと予期していたが手紙の内容は簡単だった。

「私は薄志弱行で到底行先の望みがないから自殺する」という内容だった。

Kの死顔を確認し、忽然と冷たくなった友達によって運命の恐ろしさを深く感じた。どうにかしなければという思いと同時にどうにもならないと思った。

「すみません。私が悪かったのです。あなたとお嬢さんに済まないことになりました」

Kに謝ることのできない私がこうして奥さんとお嬢さんに詫びなければいられなくなったのです。Kが死んだら埋めると約束していた雑司ヶ谷に墓を置くことになり私はKへの懺悔を新たにしたかった。


⑪死の理由

Kの死後、友人、奥さん、お嬢さん、Kの父兄、知り合い、彼とは関係ない新聞記者まで「Kがどうして自殺をしたのか」私に質問をかけないことはなかった。

私は下宿先に迷惑がかかるような記事が出されないか恐れていた。下宿先から引っ越しをし、お嬢さんと結婚した。

結婚したら心機一転して新しい生涯の糸口になると思っていたのに妻の顔を見るとKを思い出す。
私はKに対する感情はいつまでも続いた。妻に不満はなかったがこの一点において彼女を遠ざけるようになった。

「私のことが嫌いなのか、何か隠しているに違いない」という言葉を聞かなければならず、その度に苦しんだ。ありのままを妻に打ち明けようとしたが、いざという時に不意に自分以外の力が私を抑えつけるのです。

Kを忘れることができなかった私は書物に溺れるように努めた。叔父に欺かれた当時の私は、他人を悪くとるだけであって世間がどうあろうとも立派な人間だという信念があった。それがKのために見事に破壊され、自分をあの叔父と同じ人間だと認識したときに、急にふらふらしだし、他人に愛想を尽かした私は自分にも愛想を尽かして動けなくなった。

妻が何のために勉強するのかという質問を度々受けるが世の中で自分が最も信愛している人にですら自分を理解させる勇気が出せなかったと悲しくなった。

 

⑫人間の罪

死んだつもりで生きていこうと決心した私は時々外の刺激で躍り上がり、どの方向へ出ようと思い立つが恐ろしい力が働いて私の心をぐいと握り締めて動けないようにするのです。

その力は「お前は何もする資格もない男」だと抑えつけようとする。

単調な生活を続けていた私の内面には常にこうした苦しい戦争があった。この牢屋の中にじっとしていることもできず、突き破ることもできなくなった時一番楽な努力は自殺しかないと感じるようになった。

明治天皇崩御になり、その時私は明治の精神が天皇に始まり天皇で終わった気がしました。

最も強く明治の影響を受けた私どもが、そのあとに生き残っているのは結局、時代遅れだという感じが激しく私の胸を打ちました。

乃木大将の死を新聞で知り、私も殉死することを決め、妻には最後まで本当のことを伝えることはせずに自ら命を絶った。

---------------------------

70年以上前に書かれた作品ですが、他人には見せたくない心の「もろさ」「汚さ」「対立意識」
人間が、特に日本人が本来持っている内面的な部分を具体的に書いている作品です。

Kが亡くなった後、先生と呼ばれていた人は奥さんを見る度に「K」のイメージが頭にこびりつき自分がKを殺した罪人として「犬が鎖でつながれてぐっと引っ張られる」かのように永遠と同じ考えをグルグルと堂々巡りし、さらにはこの考えの鎖を自分で切る方法もわからず。人にも相談せず。最後はその考えから解放されたいが為に自ら命を絶つことを選択したのです。

この自分自身でがんじがらめにした考えの鎖は「自分の中で勝手に作り上げた対立意識」と「究極の思い込みの中の思い込み」です。

 

それを解決するためには「人間が何故苦しいのか」の原因を知ることと、すべての問題を「ゼロ」ベースから認識できるようになることで何故その考え感情にとどまっていたのか客観的な理解と問題解決の方向性が必要になってきます。

 

日本ではすべての問題を「ゼロ」ベースから認識できるnTechという技術が開発されています。

今の時代、情報知識があふれ、受け取った情報知識をどのように自分の「考え」「感情」「言葉」「行動」「人間関係性」に活用するかは「ゼロ」ベースから認識し、考えを再構築できる能力を一人ひとりが身につけることで大きな問題から小さな問題までも解決できる社会に変化を作ることも可能だと感じています。

f:id:a_satoco:20190617080404j:image