太宰治の「人間失格」あらすじとまとめ【人間の本質】を知らないで生きる大変さとは
今まで有名な作品であることは知っていたものの「暗い話をわざわざ読む」気になれませんでしたが
ふとした時に「人間の本質が含まれているのでは・・・」と思いまとめと解析をしてみることにしました。
「葉蔵」という一人の男性が「自分には人間の生活というものが見当つかないのです」と
語るところから始まります。
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空腹という感覚がわからず「めしを食べないと死ぬ」は嫌な脅しでしかなく「人間の営み(基本活動)」が何なのかわからない状態だった。
『自分の幸福に対する概念』と『世の中一般的な幸福の概念』の違いに不安し、恐怖で発狂したこともある。
ただ周りからは『幸せ者』だといわれていたが自分は周りの人間のほうが『幸せ』に見える。
考えれば考えるほど、訳がわからなくなり不安と恐怖に満ち溢れている。
ほとんど隣人とは会話ができない。そのために開発したのが「道化(どうけ)だった」
人間を極度に恐れながら人間と唯一つながることができた。脂汗を流しながら「道化」サービスを始めたのでした。
①幼少期
周りの人が何を考えているのか見当がつかないため必死に「道化」を演じる
「二者選一」の力もなく、人生の中で重大な原因の一つになった。
②小学校時代
「道化」がばれるのではないかという恐怖から必死に「道化」を強化。
女中、下男から犯罪を侵され、自分が発言する習慣のなさから「不信」強化。心を閉ざしていく。
③中学校時代
実家から離れ「道化」がばれないと安心した矢先「竹一」という少年に唯一「道化」を見破られた。竹一と仲良くなることで「道化」をばれないように修正。ゴッホの絵を竹一に見せる中で無意識に「画家になるんだ」と発言していた。
④高等学校時代
東京の学校に進級。肺の病気で療養が必要になり父の別荘過ごすことになる。学校では「道化」はあまり役に立たず、画塾の友人 堀木から「酒」「煙草」「女性」を教わる
彼を軽蔑、交友を恥ずかしいと思いながら付き合っていた。
⑤共産主義の読書会
「道化」を生かし会合に参加。仕事をいろいろ頼まれる。別荘から下宿に引っ越す。
親のつけで買い物ができてた世界から決められた額での生活に代わり2、3日でお金が消える。お金に不自由な生活になり「一人で生きる能力がないことがわかる」
銀座のカフェで出会った配偶者ありのツネ子と高等学校2年目に鎌倉の海で情死事件を起こす。
⑥父の別荘に出入りしていた「渋田(ヒラメ)」の監視下に入る。
「これからどうするつもりですか」と聞かれ将来の方針を考えることができずヒラメの家を飛び出す。
⑦雑誌社の女性シヅ子のヒモになる。
「人に好かれることは知っていても、人を愛する能力に欠けていることに気づく」
漫画を描いて生計を立てようとするが養われているため、常におどおどしている
酒代に家の物を質屋に入れ家に帰ろうとした時、シヅ子と子供の幸せそうな声を聴いてアパートへ戻るのをやめる。
⑧京橋のバーのマダムのところに転がり込む。
お客、亭主、小間使いのような雰囲気をかもしだしつつ、漫画は描き続ける。
⑨タバコ屋の娘ヨシ子と結婚(内縁の妻)
堀木との関係が戻る。ヨシ子が小男に襲われる事件があり、夫婦関係がおかしくなる。ひたすらアルコールだけ飲む生活になる。
⑩致死量に近い薬を飲む。
病院に入れられ退院後、モルヒネにはまり10本打って自殺しようとしたところ
渋田(ヒラメ)、堀木、ヨシ子がきて「脳病院」に入れられる。
脳病院に入っている周りの患者を見た時に初めて「道化をやりつづけていただけで狂ってないことがわかった」がすでに周りからは「廃人」扱い人間失格の烙印をおされた。
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64年前に出版された本ですが、人の外見と内面の乖離(かいり)
現代人が多く抱える「漠然とした不安」の要素がわかりやすく表現されています。
物語のはじめの方に「妙諦(真理)」がわかっていたらこんな生き方をしなくてもすんだのにというような一文があります。
「人間とは何なのか」存在目的、生きる理由がわからないまま気づいたら人生スタート。
どんなに良い条件で良い家に生まれ、親が用意した条件設定の道を歩いたとしても「どんな人間になって何をするのか」が明確でないと
物事の選択が自分で出来ない。自分で考えることが出来ない。条件反射で来たものを受け付けてしまうことになります。
この物語を解析したときに、体の一部である脳の条件反射でやっていた「考え・感情」の仕組みがわかって「脳の外(人間の五感覚で作り出している考え・イメージの外)」に出ることで初めて「正しく考える」「無限の可能性」を見ることができるようになります。
そこから観たときに「何もできない人間」と規定して社会不適合者として人に依存しながら生きるのか「可能性にあふれる人間」と規定して人と共に新しいものにチャレンジしていく開拓者になっていくのか
「選択」と「決断」と「出会い」によってすべて人生の岐路の先にあるものが変わってくる。そんなことを感じさせてもらった小説でした。
※イラストは『人間失格』をポイントを押さえてまとめてと思いましたが、なかなか難しいテーマでした。
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石油王から見る資本主義とチームプレイ
昔「黒くて臭い汚い水」としてそれを見た人たちは使い方がわからず
その「水」についての可能性すら感じられず、ずっと”そのまま”にしていました。
ある時、ロックフェラーという人物はこの「黒くて臭い汚い水」に可能性を感じ
多くの技術者を集め、その水をろ過して使える”エネルギー資源”として世にだし
「自動車」「飛行機」「日用品」すべてのものがバージョンアップ。
人類にとって大きな影響を与える革命を起こしました。
一見ロックフェラーという人物を見たときに”一人の成功”に見えますが
実は”他の成功者たちとのチームプレイ”によって大きく時代が動いた時期
それが1919年「アメリカが全世界のリーダー」になったタイミングです。
◆ロックフェラー
◆デュポン
◆モルガン
◆フォード
◆エジソン
この5人の超絶なバランスによってその当時アメリカを資本主義大国に押し上げたわけです。
つまり「時代」の中でプレートが大きく動く時
個人の成功ではなく”どんな人間がどの人とチームプレイ”をしているかに関心があり
たまたま個人が成功したとしてもすぐに限界が来ます。
アメリカの資本主義をベースにしたシステムが稼働して約100年
今そのシステム・シナリオの限界も来ています。
これからの人類、どんな人たちが集まってどんなチームプレイをするかで
時代の方向性・人類の発展が変わってくる時代ともいえます。
ではそもそも今「チームプレイ」ができない原因は一体どこにあるのでしょうか?
次回は「チームプレイができない根本原因」について話をしていきたいと思います。
※「グレートファミリー 新たな支配者」の情報の解析・整理した文章を掲載しています。
ポテサラの思い出
私は「たまねぎ」がかなりキライで離乳食の時から「ぺっ」と出しては
母を困らせていたぐらい抵抗のある食べ物のひとつです。
先日ポテトサラダの特集がTVで組まれ
話題になったことがありました。
その時ふと思い出した出来事が2つありました。
ポテサラの思い出1つ目は
”マンションの管理人さんとの出会い”です。
初めてルームシェアをする時に同居人から
「ここのマンションの管理人さんがかなり厳しいから
”気を付けたほうがいい”と言われていましたが
当時、引っ越ししたばかりで買い物をする場所がわからなかった私は管理人さんに
「買い物する場所でどこかいいところあったら教えてほしい」と
お願いして、管理人さんの奥様がわざわざ
お店をに2、3件一緒に案内してくれたのでした。
買い物の帰り「うちに寄っていけば?」と管理人さんの
家に入れて頂き熱燗と夕食をごちそうになったのですが、
出されたおかずが全部 ”うまい!!”
その中で一番おいしかったのが
「ポテサラ」でした。
たまねぎが入っているにも関わらず”いくらでも食べられる”
その日お土産にポテサラを1パック分頂いたのですが、あまりにおいしすぎて
同居人には黙って一人で完食してしまったぐらい衝撃の出会いでした。
たまねぎは基本「口にしたくない!」と思っていた世界から
調理の仕方ひとつで「こんなにもおいしく食べられるんだ!」と
認識が大きく変化した出来事でした。
ポテサラの思い出2つ目は”母の家族に対する気遣い”です。
たまねぎを徹底して口に入れないことをわかっている母は
いつも「これ、さとこ用のポテトサラダね」
と他の家族と分けてわざわざ「たまねぎ無しポテサラ」を作ってくれていました。
自分の考えの整理する前までは母が私にやっていてくれることは
”あたり前”と思い込んで「たまねぎ無しポテサラ」食べていましたが
今となってはそのひとつひとつの行為に私に対する「思い」「愛情」が
含まれていることに気づくことができました。
いつの間にか無意識深くに決断した
「自分は愛されていない人間だ」という勝手な思い込みを
認識の変化によって過去の解析も変化することで
「自分」「家族」「まわりの人たち」も含め
すべてを無限大の可能性で見ることができる
そんな技術が日本で誕生していることに改めて希望を感じた思い出でした。
※写真は最近自分で作ったポテサラです。
すみません
「すみませーん、電車降ります」と
声をかける人がいる
トイレから出てきた人が「すみません」という
ぶつかりそうになったら「すみません」
すみません すみません
毎日あふれる「すみません」
言葉の裏には日本人のやさしさがあふれている
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【解説】
カフェのトイレの前で待っていたら男女問わず
必ず「すみません」と言うのに今更ながら
驚いた日がありました。
そんなことをいう人がいる国はなかなか無い
そしてある日。急に電車に乗っていて急に
おなかが痛くなりトイレに向かったら長蛇の列。
並んでいられないぐらいおなかが痛かったので
「すみません、おなかが痛いので
先に入ってもいいですか?」
とお願いしたら快く先に行かせてくれた人がいた。
単語一つではあるけれども”奥ゆかしい”言葉
でもあることをポエムにまとめてみました。
ポエムを書くことで”考えが整理”されていく習慣を目指しています。