さとりのこさとこのブログ

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映画【ハンナ・アーレント】あらすじ・まとめ 平凡な人間が人間であることを拒絶した時

以前この映画を観たことはありましたが、軍事的な話が増えたように感じる2018年の社会情勢において

戦争の現場で任務を遂行していた人の思考がどのように働いて結果、大量虐殺の流れに至ってしまったのか。私自身が知りたいと思い、整理してみることにしました。

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<はじめに>

ドイツ系ユダヤ人のハンナ・アーレントハイデガーに師事、哲学を学ぶ

1933年ナチス迫害を逃れて亡命先で夫ハインリヒと出会い、アメリカへ

物語は1960年ナチス戦犯アドルフ・アイヒマンが潜伏先でイスラエル諜報部に捕らえれたところから始まる

アイヒマンが車から降りて道を歩き始めたところで拉致される

 

①ナチの大物が逮捕される

ハンナはある日、新聞で「イスラエルの諜報部、ナチの大物逮捕」の記事を目にし、アイヒマンの裁判がエルサレムで開かれることを知ったハンナはすぐに裁判の傍聴を希望する手紙を雑誌社宛に作成した。手紙を受け取った雑誌社「ニューヨーカー」は「全体主義の起源」の著者ハンナを記者として派遣できることを喜びエルサレム行きを承諾した

「偉大なる裁判への立ち合い」エルサレム行きが決まったハンナの為に自宅でパーティが開かれ、友人たちは喜んだが、エルサレム行きを快く思っていないハンナの夫が友人と口論になってしまった
夫はハンナが拘留キャンプから逃れた暗い時代に戻るのではと恐れていたからエルサレム行きを反対していたのだ


エルサレム
裁判が始まってみるとハンナは検事が法廷でアイヒマンと主役争いをしているようにしか見えなかった
派手な演説は予想されていたが、このまま裁判ショーをさせてはいけないと友人のクルトに訴えるが、当時の政権を握っている首相を理解してほしいとなだめられた

 

③野獣アイヒマン

裁判で提出された資料にアイヒマンが回答した

「確かに輸送中15名死亡と記録されているが、私の管轄ではありません」

 

検事
「全国指導者ヒムラーが命令したことをなぜ将校にその命令を伝達したのですか?」

 

アイヒマン
「決まりにより現地の警察当局から照会がきて処理をしました」

 

検事
「1両に乗せるユダヤ人の人数を決めたのはあなたですね?」

 

アイヒマン
「それが命令です。殺害するか否かはすべて命令次第です。事務的に処理をしたのです
私は一旦を担ったにすぎません。ユダヤ人輸送に必要なその他業務は様々な部署が担当しました。今の私はジリジリ焼かれる肉の気分です。もどかしいからです。明らかな根拠がない件ばかりだからです」

 

裁判を傍聴したハンナは野獣と言われるアイヒマンが創造と違っており不気味とは程遠い平凡な人で酷い役所言葉であること。裁判の意図が見えすぎていて、気分を害していた

 

ユダヤ人証言者~アイヒマンの言葉

”家族の中で自分だけしか生き残れなかった人”や”アウシュビッツのことを思い出して失神する人”

裁判で証言に立った人たちはアイヒマンとは無関係な証言内容が続いた

中には同胞の情報をドイツ側に流していたユダヤ人の証言もあった

それから検事がアイヒマンに「総統に忠誠誓っているのか」や尋問中に質問された「父親が裏切り者だとわかった場合、父を撃ち殺すのか」等のユダヤ人を抹消したのは”野獣アイヒマン”だという流れを作りたい意図が見える中、検事からある質問が投げらた

 

検事
「市民の勇気があれば違ったのでは?」

 

アイヒマン
「その勇気がヒエラルキー内にあれば違ったでしょう」

 

検事
「虐殺は避けられない運命ではなく、人間の行動が招いたものだと?」

 

アイヒマン
「その通りです。何しろ戦時中は混乱期でしたから、皆思いました。”上に逆らっても状況は変わらない” ”抵抗したところでどうせ成功しない”と仕方なかったんです。そういう時代でした。皆そんな世界観で教育されていたんです。巻き込まれていたんです」


エルサレムからの出国
裁判の傍聴を聞いたハンナはアイヒマンは国の法律に従っていただけでユダヤ人に対して増悪はないと主張していること。役人として殺人機関の命令を遂行していること

想像を絶する残虐行為とアイヒマンの平凡さを同列には語れないことを感じた
ハンナは裁判の記録と尋問のテープ6本を持ってニューヨークに戻った

雑誌社からの督促を受けながら、裁判所から届いた資料500枚を自分の秘書と一緒に整理をしながら裁判について執筆活動を始めた

 

強制収容所とは

・収容所は無用な人間だと思い込ませて殺害する
・収容所の教えとして”犯罪行為がなくても罰は下せる” ”労働が成果を伴わなくても構わない”

強制収容所は如何なる行為・感情・意味を失う場所。無意味が生まれるところ

全体主義の最終段階で絶対的な悪が現れる人間的な動機はもはや無関係。全体主義がなかったら我々は根源的な悪など絶対に経験しなかった

ハンナは収容所での体験談を大学の講義の中で学生たちに聞かせた

 

⑦出来上がった原稿
アイヒマンの首絞刑が決まり、本格的に執筆が進んだハンナは友人に原稿を見せたが激高された

理由はユダヤ人の同胞をアウシュビッツに大量に搬送したアイヒマンを平凡な人と表現し、アイヒマンを許しているかのような文章に見えたからだ

ハンナの記事を読んだ雑誌社もユダヤ人指導者が同胞の破滅に導いたように表現されている箇所を懸念したがハンナからは指導者の行動について具体的に説明はしていないし、事実だから問題ないと雑誌担当者へ回答した

 

⑧雑誌に掲載
ハンナの記事を10ページ掲載すると1ページにつき100件の苦情が雑誌社にきた

デイリーニュースには「ハンナ・アーレントアイヒマン擁護、検事が回答」と一面に掲載されてしまう

友人のメアリーから今の現状について反論してほしいと言われるが、ハンナはまともな苦情がきていない。バカな人と話す気はないとメアリーに伝えた

ある日イスラエルの使者がハンナに直接『本の出版差し止め要請』の為にわざわざアメリカまでやってきた

その中でエルサレムの友人クルトが死の淵にいることを知り、いても立ってもいられずハンナはエルサレムに飛んだ

友人のクルトも雑誌の内容にショックを受けており「同胞に対する愛はないのか」と聞かれたハンナは「1つの民族を愛したことはない。私が愛するのは友人。それが、唯一の愛情」だと答えた


⑨大学の講義

雑誌掲載内容の批判を受け、大学側からは教員を降りてほしいと言われてしまう
ハンナは今までの批判に対してついに講演をすることを決意した

 

ハンナ・アーレントの講演>

雑誌に派遣されてアイヒマン裁判を報告しました。私は考えてました。法廷の関心はただ一つだと。正義を守ることです。難しい任務でした。

アイヒマンを裁く法廷が直面したのは法典にない罪です。それはニュルンベルク裁判以前は前例もない
それでも法廷は彼を裁かれるべき人として裁かなければならない。しかし、裁く仕組み・凡例も主義もなく”反ユダヤ”という概念すらない


人間が一人立っているだけだった

彼のようなナチ党員は人間というものを否定したのです。そこに罰するという選択肢も、許す選択肢もない

彼は検察に何度も反論しました「自発的に行ったことは一度もない」と善悪を問わず自分の意志は介在しない。命令に従っただけ

典型的なナチの弁明でわかります。世界最大の「悪」はごく平凡な人が行う行為です
そんな人間には動機も信念もなく邪心も悪魔的な意図もない

人間であることを拒絶した者なのです

この現象を私は"悪魔の凡庸さ"と名づけました


ユダヤ人への非難について

観客席から「ユダヤ人への非難だ」という声にハンナは「非難など一度もしていません」と答えるとこう続けた

 

「この問いを投げかけることが大事なのです。ユダヤ人指導者の役割から見えてくるのは"モラルの完全なる崩壊"です。ナチが欧州にもたらしたものです。ドイツだけではなくほとんどの国に。迫害者のモラルだけではなく、被害者のモラルも崩壊」

 

学生が「迫害されたのはユダヤ人ですが、アイヒマンの行為は"人類への犯罪"だと?」と質問した

 

ハンナはユダヤ人は人間だが、ナチは人間であることを否定した
つまり「ユダヤ人への犯罪=人類への犯罪」だと回答した

ハンナ自身も攻撃をされた経験もあり、ナチの擁護者で同胞を軽蔑しているとの批判に対して何の根拠もないこと誹謗中傷であること。アイヒマンの擁護をしていないこと
アイヒマンの非凡さと残虐行為を結び付けようとしたが、理解を試みるのと許しは違う

裁判について文章を書く者には「理解する責任」があることを講演にきている人に向けて伝えた


⑪思考する能力

ハンナはソクラテスプラトン以来、私たちの「思考」についての考えを話しだした

”自分自身との静かな対話”だと

「人間であることを拒否したアイヒマンは人間の大切な質を放棄しました。それは思考する能力です。その結果、モラルまで判断不能となりました
思考ができなくなると、平凡な人間が残虐行為に走るのです。過去に例がないほど、大規模な悪事を

私は実際、この問題を哲学的に考えました
『思考の風』がもたらすのは知識ではありません。善悪を区別する能力であり、美醜を見分ける能力です。私が望むのは考えることで人間が強くなることです。危機的状況にあっても考え抜くことで、破滅に至らぬよう」

 

講義が終わり「ユダヤ人を見下すドイツ人と同じだ。我々ユダヤ人も大虐殺の共犯者なのか!?」と友人から言われ絶縁されてしまった

 

ハンナは自宅に帰り、夫と話しをした

「みんな過ちを認めろと迫るけど、”何が過ちなのか”言えないのよ。凡庸な悪は、根源的な悪と違うの。あの悪は極端だけど、根源的ではない深く、かつ根源的なのは「善」だけ」

夫からこうなることがわかっていたのか聞かれると

ハンナは「わかっていた。でも友人は選ぶべきだった」

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多くのユダヤ人を貨物列車に乗せ、結果アウシュビッツでの大量虐殺に関わったアイヒマンの思考をユダヤ人であるハンナ・アーレントが客観的に物事をとらえようとする冷静さ、知識の深さ、勇気は正直すごいと感じました

 

狂暴な性格、特別な病気、症状と過程して事件を判断しようとするとその人だけが起こした問題として片付けやすいことになりがちですが、元々持っている性格にプラス、条件・状況・環境が揃うと、とてつもなく大きな事件、戦争で及ぼす影響によって残酷な結果が生まれてしまうこともあります

 

観点を動かして観たときに

当時、戦争中の教育によるモラルの破壊、国のトップの方針による目まぐるしい環境の変化、善悪の判断基準の変化、感情・思考の破壊

 

戦争の時代を生きたアイヒマンは最終的に人間であることを放棄し、多くのユダヤ人を人間ではなく『物質(もの)』として認識し、業務の一貫として機械のように任務を遂行し続けてしまったのだと思われます

 

このような歴史を繰り返さない為にも、変化の激しい時代に生きる私たち一人ひとりの考える能力を上げること

 

それがとても重要なことだと同胞から批判されてでもハンナは世界に向けて伝えようとしてくれたのかもしれません
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